東日本大震災

生きる意味 死ぬこと

Huatulco Coastline

東日本大震災から7年

東日本大震災から7年です。
一度に大勢の命が失われたこの日、3月11日になると、生きる意味、そして死ぬということに意識が向かうのではないでしょうか。

スピリチュアル系の方の中には、人は、いつ死ぬかを知っていて生まれてきて、その死によって周囲の人に何かを学ばせようとする、それは東日本大震災でも同様だという考えを持っている方がいます。私は、こうした考えに触れたとき、憤りと強烈な違和感を覚えました。

 

大震災で死ぬことは予期できない

ヒプノセラピストをしていると、死者に会うというセッションに発展していくことがあります。セラピー中に発せられた死者のことばは、クライアント様の口を通して語られるのですが、その時、確かに、「生まれたときから、自分は死期を知っていた」というお話をされる死者の方もいますし、そういう方は決して例外ではありません。けれど、それは、事故死(自殺を含む)や病死をした方に限られています。

東日本大震災など、人智をはるかに超えた大災害で亡くなられた方にとって、そうした考え方はまったくあてはまらないというのが私の考えです。本当にいきなり死んでしまったのです。まったく予期せぬ形で人生を絶たれたのです。命を奪われた、という言い方が適当ではないでしょうか。それが地球規模で起きる災害の特徴ではないかと思っています。どんな人でも、生まれるときに、地球規模の災害で自分が死ぬことは計画に入れていないのではないでしょうか。

祖母は人の死期がわかる人だった

私の祖母は、人の死ぬ時がわかるという能力を持っていたそうです。明日の何時に誰誰が死ぬから、葬儀のための準備をしておくように、などと普通に言ったとか。その通りになるので、あらかじめ心の準備ができたという話を聞いたものです。死者がやってくるのも自然にわかったそうで、我が祖母ながら、ふしぎな人だと思います。もし、祖母が生きているときに東日本大震災が起きていたら、彼女はなんて言っただろうと、ふっと脳裏をよぎることがあります。

東日本大震災にまつわるノンフィクション本のご紹介

東日本大震災に関わる二冊の本をご紹介します。
二冊とも、生きる意味と死ぬことを考えさせられる本です。大事な人をあの震災で喪ったとき、その人の魂をどうとらえるのか、人は何に希望を見出して生きていくのかということに思いが及ぶとともに、残された者の悲しみが胸に迫ってきます。