ヒプノセラピーとホメオパシーの両方の世界にいると、人や動物たちの生命に向き合うということがどれほど奥深く崇高なものなのかをしみじみ感じさせられる。ヒプノセラピーとホメオパシーには、共通している目標がある。生命体を霊的な存在として捉え、その方がその方本来の魂の目的に進めるように背中を押してあげることである。
 
ヒプノセラピーでは、クライエントの方を催眠誘導していく際、その方を閉じ込めている時間と空間の壁を取り払いながら、潜在意識を拓いていく。私は、潜在意識というものは魂とつながっているのだろうと思う。時々、セラピーをしていると、その方の魂を素手で触っているような生々しい感覚を覚えることがあるのだ。
ここからはセラピーの種類にもよるので詳しく書けないが、催眠状態をさらに深めて、時間も空間もない世界をもっと拓いていくと、クライエントの方は、光を感じるのだ。虹色の光だったり、白いまぶしい光だったりと様々だが、光に満たされた広がりを感じる。
 
一方、ホメオパシーのレメディには、光から作られたレメディたちがある。Luna(月光)、Sol(太陽)、Phos(リン)、Rainbow(虹)、等である。これらに共通するのは、その方の霊的な高次の部分に作用していく点である。
 
セラピーでの経験とあわせて、ホメオパシーのこうしたレメディたちの特徴を知ったとき、私は感動した。よく精神世界で耳にする(言い方が変かな?)、「人は光の存在である」という意味がやっとわかった気がしたのである。遅ればせながら・・・。
人は光を催眠の最高時に感じ、光のレメディたちは人の霊的存在としての最高次の部分に作用するのだ。すなわち、魂の頂上は光に満たされているということではないか・・・。そして、浄化が起こる。この点も、ヒプノセラピーとホメオパシーのレメディに共通している。
 
思い返すと、私が自己催眠で二匹の愛犬に会いに行く場所も、光に満ち溢れている。亡くなった彼らのいる場所は、穏やかで清らかな光にいつも満たされていて、最初は光しか見えないほどだ。そこに足を踏み入れて、二匹の名を呼ぶと、光の中から二匹揃って全速力で駆け寄ってくる。光の存在であるのは、なにも人だけではない、生き物すべてなのではないだろうか。
 
彼らと共に暮らした八ヶ岳の森に、太陽が射し、陽の光に木々の葉がきらきら輝くのを見るとき、私は、彼らがそこにいなくても、本当に幸せだなぁと思える。降り注ぐ陽の光に身も心も無になって溶けてゆく感覚を、魂は喜ぶのだ。それは、自然と一体になること。それ以上に望むことなど、私にはない。