先日、身延へ行ってきました。うちからは、約1時間50分弱で到着しました。方向音痴でもカーナビちゃんがあれば何処にでも行けました~。楽しいドライブでした。身延ゆばを食べずに帰ってきてしまったので、今度は絶対食べてくると心に誓いました。身延ゆば、美味しいんですよ。
ステージ上のスライドに大きく映し出される長倉洋海さん撮影の世界の子供たちの写真に、MJコーラスの子供たちの歌声が重なると、世界中の子供たちの笑顔のプロモーションビデオを見ているような、独特のあたたかい感動を覚えました。長倉さんのお話も心に響いて素晴らしかったです。
ところで、話は変わります。ちょっと怪しい話になるかな(笑)。
調べたいことがあり、世界の神話伝承の本を紐解いています。世界各地に伝わる神話伝承には、ほとんど、天変地異が共通項として書かれていますよね。世界の終末には洪水や炎火や地震が起こって、その後、再び世界が再生するという、いわば世界の輪廻転生が、古代から伝承として遺されています。こうしたことを自然現象の姿として捉えて書かれた本には、『衝突する宇宙』(ヴェリコフスキー著)や、『神々の指紋』(グラハム・ハンコック著)がありますよね。どちらも一大センセーションを巻き起こした本です。読み返してみると、非常に面白く、惹きつけられます。
森の中でそうした書物を読み、ふと、夕刻から夜へ向かう森の精気を感じるとき、自分のいる世界が急に大きく広がったように感じられます。神話伝承に生きている半神半人や、龍や蛇などの動物が、夜へ向かう森だけが放つ独特の怪しい香気によって異空間から誘い出され、広葉樹の葉先や、暗くなりはじめる空のそこここに、にぎやかに立ち現れる気配を覚えるのです。
森では、夜というのは、人間の時間ではないのです。人間以外のものたちが活動する時間です。星降る森の中で生活していると、そうした棲み分けを本能で感じます。だからでしょうか、神話伝承が息づく別な次元に入りこんだような、不思議な五感の広がりと変化に立ちすくむのです。
ニーチェの言葉を引用して筆を置きます。
「そして、ここに月光をあびてのろのろ這っているこの蜘蛛、この月光そのもの、そして門のほとりで永遠の問題についてささやきかわしているわたしとおまえ――これらはみな、すでにいつか存在したことがあるのではないだろうか。
――そしてまためぐり戻ってきて、あの向こうに延びているもう一つの道、この長い恐ろしい道を走らねばならないのではなかろうか、――われわれは永遠にわたってめぐり戻ってこなければならないのではなかろうか?」『ツァラトゥストラはこう言った』(ニーチェ著)