戦争は、すべての人の心と体を傷つけます。
2012年に書籍化された、『第3回 今は亡きあの人へ伝えたい言葉』(鎌倉新書)に収録された手紙文(佳作入選)を引用・抜粋します。
母からのまた聞きでしか知らない祖父へ宛てたものです。うまく書けていないので読みにくいかもしれませんが、これも戦争の断面です。
心から平和を祈ります。


【祖父へ、六十八年目のお願い】 
 
おじいちゃん、私は、あなたの孫です。一九四四年のサイパン島陥落の直前にサイパン島から脱出したあなたの娘から生まれました。

あなたとの別れの場面を、当時九歳だったあなたの娘は鮮明に覚えています。サイパン島から出航する引き揚げ船「びんご丸」に妻子を乗せたあなたは、心細くて泣きそうな娘に、


「守ってやるからな。守ってやるからな」


 と言い聞かせた後、船を降りると、もはや振り返ることはありませんでした。浜で背を向けたまま右手を振って別れを告げるあなたの後ろ姿を、その人影が小さくなって見えなくなるまで、娘はずっと見ていたのです。


あなたは、妻子が生き延びてくれることだけを強く祈ったに違いありません。一方で、もう二度と妻子には会えまい、と悲痛な覚悟も固めて、ひっそり涙をこぼしたのではないかと思います。劣勢の戦火の中、五百人の民間人を乗せて先に出航し撃沈された「あめりか丸」をはじめ、何隻もの引き揚げ船が爆撃される様を、あなたも妻子も見てきたからです。


 戦後三十六年経った一九八一年に、妻子はNHK取材班と共にサイパン島を訪れています。この時にはじめて、あなたの最後の様子を妻子は知りました。戦況の悪化と共に追いつめられた末、ジャングルで小刀で首を突き自害するあなたを、島民が見ていたのです。


 大工としてサイパンに渡り、最後は軍人として死ななければならなかったあなたの一生と、あなたが巻き込まれた戦争の歴史を、私は深く重く胸の奥に刻んできました。


 あなたの妻(私の祖母)は、あなたが自害したあたりに散らばる遺骨を、たとえ誰の遺骨でもよいから持ち帰りたいと望みましたが、蜂だらけだから分け入るのは危険と説得されて諦め、代わりに、あなたが最後に通った道の砂を持ち帰りました。こうしたことは、六年前に逝ったあなたの妻から聞いているでしょうか。七人いた子供達のうち五人までもが、もうあなたの元にいますね。残る二人は、宮城県と、あなたの故郷の福島県にいます。


 おじいちゃん、あなたに、一度きりのお願いをさせてください。宮城県も福島県も、昨年の東日本大震災の被災地です。とりわけ福島県は、放射能汚染という終わりのない見えない敵の手中にあります。そこで今も暮らすあなたの娘(今年七十七歳になる私の母)を、六十八年前にサイパン島で言ってくれたように、どうか守り続けてあげてください。

『第3回 今は亡きあの人へ伝えたい言葉』(鎌倉新書・2012年)より