星が美しい季節です。カメラが趣味の友人がいるのですが、とにかく超多忙で全国を飛び回っており、オフは年に数日ほど。そんな中でも、今度うちに来たら望遠鏡にカメラをとりつけて惑星の写真が撮れたらいいなあ、という話になり、私は今からワクワクです。望遠鏡が大きくて重いので私じゃ外に運びだせないけど、友人なら大丈夫。車に積みこんでどこに行こうか。でも、会えるのは早くて春かなぁ。
そんなことで星空に思いをはせていたら、去年なんとなく綴った詩のようなエッセイのようなものを思い出しました。昔の一場面です。あのころは珈琲も結構飲んでいました。
タイトルは、「宙の茶会」
どこかに発表するつもりはないので、ここに掲載します。
「宙の茶会」
標高1500メートルから見上げる冬の夜空は、明るく澄みわたっていた。高い天井まで開いた大きな窓ガラスのむこうに、百武彗星が驚くほどはっきりと流れている。
彗星を見るので部屋の電気はつけていない。暗さに目が慣れると、部屋の中の静物が蒼白く浮かび上がってきた。壁も、家具も、湯気を立てている珈琲メーカーもだ。
私は出来立ての珈琲を分厚いカップに注ぐと、彗星と対座する窓辺に座った。その私の姿も、星あかりに蒼白く照らし出されている。
標高の高い美しい森で暮らしたいがために、都会の真ん中を去って間もなかった。経済的な不安はあれども、それとは別の次元にある何かを求めて生きてゆきたかった。だが、それはいったい何なのだろう。
天然水で淹れた熱い珈琲をゆっくりと味わいながら、天に眼をやる。
百武彗星は巨大だった。白銀の長い尾を悠然とかがやかせて、満天の星空を横切っている。この彗星が次に地球に近づくのは数万年後。私はもう二度と見られない。
数万年という途方もない時間を前にすると、そのうちの一秒にも満たない小さな自分をはじめて発見した気持ちになった。
「なのに、何を迷っているのだ」
と、彗星に言われた気がした。「まず、おまえ自身を、ありのまま全肯定せよ」と。
彗星が夜明けの空に消えてしまうまで、何杯か珈琲を飲んだ。自分の実在を確認するための厳かな儀式のように。たった数時間が、人生の軌道を見いだす深い時間へと変わっていった。
あの夜から十七年が過ぎた。今も私は、同じ森の同じ場所にいて、自分を見つめる時間がほしくなったら、星空の下で静かに珈琲を淹れている。