5月25日に、愛犬たびが亡くなった。あと1ヶ月で13才を迎えるはずだった。私がRAHのスクーリングで寅子先生の講義を受けている間に亡くなったようだった。その日は、朝もいつものように散歩に行き、朝ご飯もたくさん美味しそうに食べて、いつもの朝と何も変わりなかった。私が家を出るときも、ベッドの上に寝そべりながら安心した顔で見送ってくれた。
家に帰ると、たびはベッドの下にいて、もう身体が硬くなっていた。心臓発作を起こしたようだった。瞬間歯をくいしばったらしく、舌に血がにじんでいて、近くにしっかりした糞がしてあった。心臓肥大・僧帽弁閉鎖不全症の持病はあっても、それまで咳はほとんどなく、息切れもせず、発作も一度も起こしたことはなかった。私に一度も看病させることなく、最初で最後の発作を起こして、すっと逝ってしまった。去年亡くなったのりたまとは、正反対の逝き方だ。
たびは、のりたまが亡くなった後、急に元気がなくなり、病気もいろいろわかって、ずっとホメオパシーを使ってケアをしてきた。最後の最後まで、私の手を煩わせることなく、まっすぐに生ききり、死んでいった。アッパレな死に方だと思う。私も、こんな風に死にたいと思った。私が家を空けるのは、スクーリングの日だけなので、まるでこの日に逝こうと決めていたような亡くなり方だった。のりたまが亡くなってから、私の気持ちが落ち着くまでずっと側にいてくれて、そして、「もう大丈夫。自分の役割は終わった」とでもいうように逝ってしまった。たびには、感謝の気持ちでいっぱいだ。
のりたまの時は、闘病中の苦しげな彼の姿が脳裏に何度もフラッシュバックした。その都度、私は自分を責めずにはいられなかったし、悲しみと罪悪感の入り混じった涙をたくさん流した。その一部始終を見ていたのは、たびだけだ。私が泣くと、たびは不安そうに私を見つめて、「泣かないで」というように、小さい手を、とん、と私の手に乗せてきた。たびが、逝く瞬間を私に見せなかったのは、私への最大限の愛情なのだろう。その朝、ベッドの上で見送ってくれたたびの平和な表情だけが、今、私の目には焼きついているのだ。
死後硬直で硬くなったたびの口に、ArsのMM(迷わず天界へ行けるように)を入れた。水にも溶かして、部屋中にスプレーもした。滲んでいた口の血は、Arnを入れたら止まった。死んでも、まだ身体の細胞の生命は残っていたのだろう。
その夜、のりたまの時と同様に、自己催眠でたびに会いにいった。彼は、もうさっさとのりたまの元へ行っていた。穏やかな空気の流れる光り輝く緑の草原の中、二匹でじゃれあっていた。二匹とも大分若返っていて、本当に嬉しそうだった。たびには、「嬉しい」という感情しかないようだった。「のりたまに会えて、嬉しい」。ただそれだけをたびは思っていた。たびは、心の底から、ずっとずっとのりたまに会いたかったのだ。たびのあんなに嬉しそうな表情を見たのは、本当に久しぶりだった。もちろん、のりたまも同じだ。二匹の身体は半分光に透けてい、動きとともに光が身体から零れ落ちる感じがした。そうやって、光をまといながらじゃれあう二匹を見て、私は安心した。よかった、と思った。
「何か、ほしいものはない?」
たびに聞くと、「何もいらない」と答えた。のりたまが亡くなってからどんどん食いしん坊になっていったたびが、「何もいらない」なんて。のりたまに会うことが、たびにとってどれほど至福だったのかが改めてわかった。
たびと共に、今朝、私は八ヶ岳に戻ってくることができた。今は雨が降っている。みずみずしい新緑がのびやかに空を覆い始めている。前回、八ヶ岳に来たとき、私は無意識のうちに、のりたまの隣にたびを埋葬するスペースを決めて、ここにたびを埋めてあげよう、と思いながら、そこだけ草むしりもしてきた。こんなに早くたびとの別れが来るとは思っていなかったけれど、一方では、無意識はその日の近いことを察知していたのかもしれない。
たびの身体は、いつも寝ていたソファーの上に横たわっている。もう土の中に入りたいと彼は言っているので、明日、埋葬する予定だ。今まで、なにものにも代えられない豊かで素晴らしい時間をあなたたちと過ごすことができて、私は幸せだった。ありがとう。これからも時々、あなたたちのいる場所へ、会いにいくからね(自己催眠を通して)。
のりたま同様、たびを可愛がってくださったクライエントの方々と、たびを亡くした直後に私を支えてくれた大切な友人たちへ。
心から感謝いたします。ありがとうございました。